昭和初期、文化村住宅が建てられた歴史がある。開発者は建築協定を設けた『和風+洋風+前庭+屋根グリーン+外壁下板』

各敷地規模300坪。時代と共に、それらの住宅は所有者が代わって行き取り壊されてきている。そして『この建物』が最後のひとつとなってしまった。戦後はYWCAが取得しその活動基盤としている。(2016.715.登録有形文化財答申ー11月指定予定)

玄関ポーチ屋根が特徴的なデザインで、右側洋室の六角アルコーブ窓との佇まいがとても清楚である。現場調査を5人のヘリテージマネジメント2期生の建築士達で行った。その調査をもとに BIMモデルで再現設計を試みた。

玄関ポーチ屋根は『軒唐破風屋根』と云われる、古くは平安時代に遡る形のものである、寺社建築に多く見られる。明治期の擬洋風建築に必ず設けられ、洋と和の不思議な融合である。

この住宅の場合は屋根の『起り:むくり』高さがとてもおさえられていること、かつ「破風尻」の破風板先端と軒桁先端の意匠が他に見られないデザインである。一般に「破風尻」は上部が突き出た唐草紋様が彫り込まれているものであるが、これは下部が長くどう見ても「唐草」ではない。

当時の建築主と棟梁(建築家)の意図は何であったか?推測する資料は今のところ

見つからないが、想像力を掻き立てられるものである。

 『水波』をモチーフに、当地の自然の良港と云われた『巴:ともえ』デザインを意図したのではないかと思えてならない、いや 思いたい。